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2012年06月20日

数奇屋風の三角門

何気なく通り過ぎて引き返して見た。
数奇屋風の大きなお宅の門。

いや~、粋ですね~。



写真ではわかりにくいですが、なんて凝った門なんでしょうか。

わかりますか?この門、三角形なんです。
三角形の屋根に瓦が葺いてあって、軒先は銅版です。



この写真の方が、三角はわかりやすいですね。



しかも、軒裏あらわしです。



正確にはわかりませんが、ちょっといびつな三角形のようです。



職人さんたちのものすごい気迫と、難しいことをなんでもないことのように、さらりとやってのける技術力を強く感じる門でした。
すばらしいです。

地味ですが、これはほんとにすごい!


所在地:豊中市上新田




大阪・吹田・千里ニュータウン/アーキスタジオ 哲 一級建築士事務所
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Posted by アーキスタジオ 哲 at 06:15Comments(2)大阪の建築と雑記帳

2012年06月19日

京都ダマシンカンパニー

これは不思議だ。

3連アーチだけど、アーチを受ける柱がありません。つまり、両サイドの柱だけで支持しています。これだけ、石やレンガがふんだんに使われているのに…。

今でこそ、コンクリートや鉄骨の”力技”で済ませた力学的に理屈の通らない建物も多いけど、古いものにはめずらしいです。

どうやって支持してるのかわからないぐらい不思議なのに、赤いテントで視線が切られちゃってるから、それほど不思議に感じなくなってるのかな?

写真を撮ったときは急いでいたので、じっくり観察できませんでしたが、アーチの下端がどんな仕舞いになっているのか、テントがない姿を見てみたい気がします。

横物が一本通っていて、そこにアーチが載っかってるのが普通の納め方なんでしょうが、どうせアンバランスなんだったら、アーチの端部はちゃんと柱に載るように柱頭側の処理までしてあるのに”柱がない”とか、もっと飛躍して、柱の上部は残ってるけど、下の方は朽ち果ててなくなってるとか、そんなのも面白いなぁ・・・なんて想像して遊んでいます。

やっぱり、私も”力技”に慣らされた現代人のようです。


京都ダマシンカンパニー
所在地:京都市中京区三条通富小路東入ル
竣工:1890年
構造:木骨煉瓦造2階建





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Posted by アーキスタジオ 哲 at 06:15Comments(0)京都の建築と雑記帳

2012年06月18日

日本基督教団浪速教会

有名な教会です。







正面の両サイドに違った大きさの入口があります。
北側(向かって左側)が教会の入口。
南側(向かって右側)には、浪速教会日曜学校と書いてあります。
いわば主と従ですが、従の方が同じデザインでも微妙に控えめになっています。控えめなんですが、実は微妙に前に出てちゃんと主張しています。
扉外の階段の段数の違いでも、なんとなく主である北側の入口の方がどっしりと構えているように見えます。(中で数段上がっているので、同じ高さまで上がっていると思われます。)
アーチ両サイドの搭状のデザインも部位ごとに高さを変えて、役割の表現しているかのようです。

外からではわかり難いけど、アーチの窓はステンドグラスになっています。
上から2枚の写真で、アーチ窓の下の方に緑色が見えるでしょ。
私は中に入ったことがありませんが、
ややブルーグリーンのやさしい光に満ちていて、
外観の重厚な雰囲気とは違ったやわらかい空間だそうです。
そう聞いて、内部も見学させてもらおうと思っているのですが、
信者ではありませんので、なかなか敷居が高いです。
(といいながら、いろんな教会を見せていただきましたが…)



定礎は1930年(昭和五年)。
もう亡くなりましたが、私の父と同じ年です。


日本基督教団浪速教会
所在地:大阪市中央区高麗橋2-6-2
設計:竹中工務店(設計指導 - ヴォーリズ建築事務所)
竣工:1930年
施工:竹中工務店





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Posted by アーキスタジオ 哲 at 06:15Comments(0)大阪の建築と雑記帳

2012年06月17日

大阪市のマンホール

マンホール。大阪市バージョンです。



そこに描かれていたのは、「大阪城」。
地域性が良く出ていて、いいですね~!





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Posted by アーキスタジオ 哲 at 15:32Comments(1)マンホール

2012年06月17日

1928ビルの写真から考えたこと

昔、京都の三条通りをぶらぶら歩いていて釘付けになりました。
おもしろいなぁ…って。


なんともいえないバルコニーの形。
バルコニー周りの細かい水平線とそれを形成する庇の納まり。
星型の窓。
塔屋に引っ付いてるのはなんだろう?
この写真では、ワーゲンのミニバスで隠れちゃってるけど、玄関周りのデザインと左右のランプもGOOD。

とてもキュートです。



このビルのこれまでの写真がプリントしたものしかなかったので、
この間、久しぶりに前を通ったときに、何枚かデジカメで撮ってきた。
ようやくデジタルデータの仲間入りです。

そこで、ちょっと建物の概要を調べてみた。
昔はいろんな本で調べたけど、今はインターネット。

すると簡単に、1928ビル、武田五一氏の設計とわかる。

一昔前は、建物の名前を調べるのも結構大変だった。だから、まぁいいか…と、私の中では名無しだけど有名なビルと言うのが一杯ある。ちょっと調べたけどわからなくても、何かのきっかけでわかることがあるので…と、そのまま放置してある。

数年前まで、このビルもそのひとつでした。何かの雑誌で見つけたので、今はちゃんと一致していますが…。

名前と建物の姿が繋がってない建物は、記憶の中から取り出しにくいから記憶も薄れて行き易い。インターネットで検索にヒットし易い情報のアクセス数が増え、検索で下位の方にしか表示されない情報のアクセス数が少なく、だんだん順位が下がっていくのと同じ。
プリントで保存してある写真にも同じことが言える。アルバムを開くのがだんだん億劫になってきて、ついついデジタルデータのある物を優先してしまう。デジタルデータが優先されるから、アルバムをまた開かなくなる。すると、写真の記憶がだんだん薄らいでいく。こんな写真があったはず…と思ってパソコン上のデータを探してから、「あっあれはプリント写真だ。」と思い出して書棚を探しに行く事が多くなった。更に、このプリント写真の記憶もどんどん薄らいで行っている。
このままがいいのか、プリントの写真を全部デジタルデータ化してしまった方がいいのかずっと迷っている。
全部デジタル化してしまうと、プリント写真を全く見なくなるもんね。全部デジタルデータ化してるから、それはそれでいいのかな?
いつもそんなことを考えて、結局成り行きに任せることになる。

世代的に、一応ちゃんとデジタルに対応出来てるけど、アナログの期間も長かったから、アナログのよさ…みたいな物を切り離せない世代なんだと思う。



しかし、便利な時代になったもんだ。
建物の位置などがわかると、ネットですぐに建物の概要がわかってしまう。

いいのかわるいのか・・・?


あっ、1928ビルの話だった・・・・・・『実に、キュートな建物です。』

それと、1928ビルの写真から考えたこと・・・は、ちょっと大げさすぎましたし、1928ビルとは全く関係ありません。ご了承ください。


1928ビル(旧大阪毎日新聞社京都支局ビル)
所在地:京都市中京区三条通御幸町東南角
設計:武田五一
竣工:1928年





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Posted by アーキスタジオ 哲 at 07:09Comments(0)京都の建築と雑記帳

2012年06月16日

執念?

建物上部の形が不思議。


どこかで見たことのある形だと思ったら、道路斜線制限による建築可能範囲の模式図にそっくりです。建築設計に携わったことがある人なら、一度は見たことありますよね。

そう思って、その模式図を探し始めたけど、探し始めるとなかなか出てこないもんです。見つかったらまたアップしますが、とりあえず今は想像してください。
スイマセン。

とにかく法律をクリアできる範囲で建てられるだけ建てたかった・・・
ということなのでしょうが、

根性を通り越して、執念(?)を感じます。




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Posted by アーキスタジオ 哲 at 06:15Comments(0)建築独り言

2012年06月15日

「かやのさんぺい」って・・・

ところで、一昨日の”かやのさんぺい橋”の名前になってる萱野三平ってどんな人か知ってますか?

忠臣蔵が好きな方はよくご存知かもしれません。また、聞いた話では、箕面市の小学校ではちゃんと教えているらしいので、箕面市内で小学校教育を受けた人はみんな知っているようです。

そういえば、高校のときに萱野三平を知らなかった私に対して、「知らないの?」と冷ややかな眼を向けた友人が居た事を思い出してしまいました。

その時にレクチャーを受けたから、私の頭には「萱野三平」がインプットされているのですが、多分、今まで萱野三平を知らなかったとしても困ったことはなかったと思います。今思えば、冷ややかな眼を向けられただけ損な気分です。

まぁいいか。古い話だし。

さて萱野三平。
簡単に書くと、松の廊下事件の第一報を赤穂に伝え、その後、大石内蔵助の義盟に加わるが、家族の反対との板ばさみにあって28歳で自害。四十八番目の義士とも言われている人物です。また、その技量が当時の俳諧人にも広く認められていた俳人でもあり、28歳という若さで自害したにもかかわらず、多くの名句を残しているそうです。
詳しくは → http://www.city.minoh.lg.jp/kankou/kayanosanpei.html

箕面市萱野に「萱野三平旧邸」があります。大阪府の指定史跡にもなっていますが、切腹したとされる部屋のある長屋門が残されています。


長屋門外観。左に伸びるのが西国街道。


 ↑ クリックで拡大します。



長屋門内観。濡れ縁のある部屋が切腹したとされる部屋。


切腹したとされる部屋。天井が高いです。


「義士萱野三平之旧跡」の石碑


辞世の句
「晴れゆくや日頃心の花曇り」とある。


この冠木門は後から建てたものだと思います。




「涓泉」とは彼の俳号。


萱野三平邸と涓泉亭
所在地:大阪府箕面市萱野3-10-4



大きな地図で見る




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Posted by アーキスタジオ 哲 at 06:15Comments(0)独り言

2012年06月14日

かやのさくら橋

かやのさんぺい橋とは一変して、こっちは開放的な屋根のない橋。
開放感とリズムを時々崩した門型が結構いい感じです。



こっちは千里川の上に架かってます。






柱が直角に等間隔に建ってるのではなく、ランダムに傾くことでリズムに変化がつけられています。遠めにもこれが流動感になっていように思います。これぐらいの太さの丸柱がギリギリ許容範囲だと思うんですが、やっぱり鉄骨の野太さは残っています。この野太さで何かが表現したかったのでしょうか?

両側にある滞留スペースは通過する人の邪魔にならないように柱の外側に配置され、さらに一段下がっているので、とてもうまく出来ていると思います。ただ、この段差の注意喚起のためと思われる球状のオブジェの背が低く、人出の多い時などは視界に入り難いのでとても危ないと思います。
個人的な経験でも、子供を捜して遠くを見ているときに躓きかけたことが2度ほど。大人の影を走り抜けた瞬間にこの球が現れて、躓いて転ぶ子を見たのが数度。一応テッペンには鋲が打ってあって滑りにくくはなってるんですが、それでもこの上に乗っかって、滑って転ぶ子を見たのが数度あります。
乗っかる方が悪いのは確かですが、簡単に乗っかれるものを作る方も悪い。特に子供はこんなところには必ず乗っかります。ちょっと考える余地がありそうです。

 ↑ の写真の向こうの方に「かやのさんぺい橋」が見えます(わからないかな?)。この開放的な橋の続きに、あの閉鎖的な橋が繋がっています。かやのさんぺい橋の屋根の必要性はやっぱりわかりません。




もし考えられるとすれば、かやのさくら橋は1階が通れるけど、かやのさんぺい橋は1階が通れないことぐらい。濡れないで通れる部分が作りたかったのかもしれません。でも、結果的に濡れるのでやっぱり意味がないように思います。
濡れるけど一瞬だからガマンしてね…っていうことなのかな?
簡単な屋根でもいいから建物の入り口まで屋根を伸ばすだけで、意味が生まれるのになぁ。




かやのさくら橋は全体的にはいい感じです。




追伸、カメラの特性がだんだんわかって来ました。
そして、ようやく少し慣れて来ました。(遅すぎる!)
それを証拠に青空がきれいな写真が少しだけ増えたでしょ。
今までのカメラではすべてオートで写していたので、それに甘えていたようです。
このカメラは設定をいじればきれいに写る。でも、いちいち設定かえるの面倒なんですが・・・。
もう少し色々触って、私にとって最適なポジションを探してみます。





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2012年06月13日

かやのさんぺい橋

箕面のショッピングモール ” Visora ” を東西に結ぶ跨道橋。
これを最初に見たとき、
要塞のようなえらくゴツイ橋を架けたもんだなぁ…と思いました。




今もそう思っていますし、なんとなくVisoraの他の建物や部分との違和感も感じます。
また、新御堂を北上し、箕面の山が迫ってきたと思ったら、いきなりこの橋で山が遮られてしまいます。なぜ、こんなに閉鎖的な橋にしたのでしょうか?

屋根があって雨に濡れないのはいいのですが、屋根があるのはこの橋だけ。連続してるペデストリアンデッキやその続きの”かやのさくら橋”には屋根はありません。雨の日はこの橋の上だけは濡れませんが、移動すると必ず濡れてしまいます。これって屋根が必要だったのでしょうか?(実際はこの橋の屋根には息抜きが取ってあるので、少々吹き込んできます。)





更に、橋の上に上がると圧倒されることになります。






木の内装はいいとして、なんだこの鉄骨の骨太感は?鉄骨の野太い質感のせいで、木の柔らかさが吹っ飛んでしまっていますし、人間が間近を通る場所だというのに、人間を寄せ付けないかのような圧迫感に圧倒されそう…です。



更に、なんだこのナットは?
決して鋭利な訳ではないですが、なぜか玉石を埋め込んだ健康歩道を連想してしまったので、なんか痛そうです。

健康歩道でなくても、例えば、子供が走ってきてこの柱の直前で転び運悪くここで頭を打ったとすると、たんこぶで済む話が流血騒ぎになりかねません。
考えすぎでしょうか?

あまりにも、橋という巨大な構造物のスケール感ですべてが決められていて、使う側の人間のスケール感が無視されているように思います。構造体の頑固さは必要な耐力を得るために仕方がないのですが、人間が手を触れるところ、人間が間近を通るところについては構造体とは切り離し、人間を中心に組み立てるべきではなかったのでしょうか。車が通る橋ではなく、生身の人間が通る橋なんだから。



屋根がかかった閉鎖的な橋だけに、この息抜き窓は効いています。窓が効いているのもあるし、窓周りだけは人間のスケール感で考えられていることが好感に繋がってるようにも思います。

箕面の山が見えるのもいいですね。
そう考えると、やっぱり屋根なくても良かったんじゃ・・・。



ちょっと古いですが、
西武警察の装甲車と放水車が似合いそうな橋だと思っています。

構造的にはフィーレンディール橋といって日本では比較的少ない構法のようです。
分野がちょっと違うので推測ですが、
フィーレンディールトラスという構造体は野太くなるのが一般的みたいなので、どうも、工法が先走ってしまってデザインが圧迫されてる匂いがしないでもありません。

かやのさんぺい橋
所在地:箕面市坊島4丁目~白島1丁目、国道423号線横断部





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2012年06月12日

「道標」の重み

上新田を徒歩で横断中にいくつかの古い道標を見つけました。
古い町並みだし旧勝尾寺街道が通っているので、周辺も探して見ると、下が埋もれてしまったのか折れてしまったのか、半分から上の部分しかないものや、古いものに隠居いただいて新しく建ててもらったもの、豊中最古と表記のあるものなど、4つが見つかりました。


①豊中最古の道標
東面 右 ざい所  左 大坂へ三り  
南面 右 かちをし
「ざい所」は不明。「かちをし」は勝尾寺。





②勝尾寺街道道標(これが最初に見つけた道標)
西面 馬頭観音(というらしい) 右 か■■■(たぶん、かちをじ)  
下部が埋もれていて見えない。




③西面 右 さいでら(佐井寺) 左 かちをじ(勝尾寺)



④平成18年に再建 山田街道分岐点道標
西面 右 山田、いばらき(茨木) 左 かちをじ(勝尾寺) 



こっちが昔からある本物です。

まだ他にもあるかもしれませんが、私が見つけたのはこの4つ。
今ならナビに道案内してもらって…というところですが、ナビどころかちゃんとした地図もあったのかなかったのか?すべての道標が、そんな時代{天明年間(1781年~1788年)}の建立のようです。
旧街道については詳しくないので今後の課題としますが、これらの道標を見ていると、当時の人が勝尾寺への行き帰りや茨木、山田、佐井寺に向かって、道標を頼りに早足で歩いて姿がなんとなく目に浮かぶようです。
そう考えると、この、ものを言わずに建ち続けて人々の案内だけをしてきたな石たちに重みを感じます。
また、勝尾寺も茨木も山田も佐井寺も今なら歩いて行くことを考える距離ではありません。しかし、当時の人は当たり前だけど、当たり前に歩いていた。
便利さと引き換えに失ったものも多いんでしょうね。





より大きな地図で 上新田道標 を表示




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