2010年10月31日
手塚貴晴+手塚由比 建築カタログ

ずっと気になっていましたが、なかなか機会に恵まれず今に至りました。
機会に恵まれない・・・というのは、
本って、本屋で見て、もしくは他のメディアを通じて「この本欲しいな・・・」と思っても、
私の場合すぐに買わない場合も多い。
だから、本屋で見て欲しいけど買ってない本が、本屋にたくさん並んでいる。
最近は建築関係が全般的に少し値段が下がったような気がしないでもないが、
昔からのトラウマで、「高い!」と言う感覚があって、避けてるのかもしれない。
そのときは、他の本を買う予定があったので次回に廻そう・・・というときもある。
ぶらりと本屋に立ち寄って、なにも欲しい本がなかったときでもその本がある・・・という安心感を求めているのかもしれない。
とにかく、本屋に行って手にとって見て、欲しかったけど買わなかった本がたくさんある。
そんな中の一冊です。
今回なぜ買う気持ちになったのかわかりませんが、とにかく購読しました。
とにかく大胆な発想(とっくに構造的な・・・)と、
それとは真逆の位置にあるような、なんとなく暖かみのあるデザインに惹かれるものがあります。
写真が多いから読むと言うよりは「見る!」本です。
楽しかった。
これ、2巻目も出てます。
購入はいつになるやら・・・
2010年10月27日
概算見積
とりあえず、現状で調べられる範囲を調べて、調べて単価を導き出すけど、
その単価の根拠自体が実はものすごく希薄だといつも思っています。
私が工事を請ける訳ではないので、その単価でやってくれる業者ななければ吹き飛んでしまいます。
だからこそ概算であり、設計見積なんでしょうが、
それが指標になる分には仕方がないけど、
基準にされるとほんとに困る。
こんなこと私が言ってはいけないのかもしれませんが・・・
決して概算を出すのがキライだから言っているのではありません。
根拠が希薄だと感じることに落胆しているだけです。
2010年10月27日
2010年10月24日
真央ちゃん
すっかりジャンプに自信がなくなってしまったかのような印象を受けます。
今年は試練の年になりそうですね。
あせらず、じっくりと、強い気持ちを持って乗り超えて欲しいものです。
2010年10月22日
見上げると・・・

逆光で一番撮りたかったところはうまく撮れなかったんですが、
一番電線に近い場所でこの状態。
ほとんどがインターネット用の架線だと思うんですが、
袋小路の私道に面する10件程度の住宅に向かって、
袋小路にT字に接する道路の対面側の歩道際に立つ電柱から放射線状に広がっています。
(わかるかな・・・)
見上げると、帆船の甲板にいるみたい。
(例えがきれい過ぎたかな?)
建築の写真を撮っていても、現地では見えなかった電線がしっかり写ってるということがよくあります。
私の場合、個人的な記録写真でしかないのであまり気にしませんが、人間の目というのは、見たくないものを見ないように、本当に都合よくできているもんだと感心してしまうことすらあります。
しかし、これは論外。
それにしても、もう少し何とかならなかったのでしょうか?
2010年10月20日
村野藤吾 建築案内

村野藤吾建築案内
パラパラとページをめくると、矢継ぎ早に次から次へといろんな建物が出てきて、改めて氏の多彩さに感心させられます。
とても一人の建築家の建築案内本とは思えません。
なかには、あれも村野さんだったんだ・・・っていう身近な建築も載っていたりして、氏の簡易版の作品集が手頃な値段で手に入るといっても過言ではありません。
私は宝塚カトリック教会のすぐ近くの幼稚園に通っていました。
子供心に、あの教会には驚きと惹きつけられる何かを感じていたような気がします。
電車の窓から見えるあの特徴的な姿は、いまでも脳裏に焼きついています。
そんな、人を惹きつける何かを感じ取れる建築の多さにも改めてびっくりしてしまいます。
日本という土壌に建った建築の宿命と言ってしまえばそれまでですが、すでに取り壊されてしまった建築が少なくないのが残念です。
私が勤めていた心斎橋には、そごう、村野事務所、プランタン・・・と特徴的な村野作品が直近にありました。
しかし、そのどれもがすでに取り壊されてありません。
特に、村野事務所とプランタンは、小さいながらもなぜか気になる存在で、用もないのにわざわざ遠回りをして、前を通って眺めていました。
そんな20年以上前を思いだしました。
また、中学生の頃に移り住んだ千里ニュータウンにも南千里の地区センターや専門店街など、氏の作品が身近にありましたが、専門店街はすでに取り壊されてありませんし、地区センターも取り壊しが決まっています。
ちなみに、取り壊された専門店街のあとに建てられたのは、ALC張りぼてで雰囲気だけは明るく建てられた、今風の小ぶりのショッピングセンタービルです。
ほんとに残念です。
そういえば、千里中央にあった槙さんの千里センタービルもすっかり建て替わりました。
晩年は、打ち放しだった外装に塗装が施され、すっかり雰囲気を変えてしまっていましたが、その後解体され、50階建てのマンションに建て替わりました。
千里に50階建てのマンションなんて要らない・・・という声も根強いですが、もう出来上がっています。
まだ売れ残っているようで、時々分譲の広告が入ります。
話を戻します。
ページを捲りながら感じたこと。
村野作品が非常に身近にあったことを改めて感じました。
それと、
「心斎橋のプランタンでもう一度ゆっくりコーヒーが飲みたいなぁ・・・。」
2010年10月18日
平等院鳳凰堂と鳳翔館
中堂とのバランスのせいか、翼廊はそれだけ見るとちょっと腰高なんだけど、2階の欄干で一度縦の線を切ってから屋根に至るバランスが抜群。
2階は欄干が廻っているけど、人が立てる高さではないらしいから、完全に飾りです。
古い建物で傷みが結構目立つので、近くで見るより、池の対岸から眺めるのがやっぱり一番きれいです。



今日の本当の目当ては鳳翔館。2度目です。
なかなか全貌を把握しにくい配置なんでわかりづらいんですが、シャープな建物でまっすぐに伸びる庇が特徴的です。
鳳凰堂の直近(左後方)に建っているんですが、地下をうまく利用した計画で、鳳凰堂を正面から見たときでも、その姿は視線に入りません。ちゃんと配慮してあるようです。
全体的にシャープで繊細だけど、木製の格子戸の意匠や休憩所の板張りなどがごつくて荒々しいものになっていて、工業製品を繊細に自然素材を荒々しくすることで自然素材が負けないように考えてあるのかな・・・と思ったり。
細部は徹底的にモダンで近代的なので、鳳凰堂との新旧の対比もおもしろい。
ストイックな印象の建物でした。




設計:栗生総合計画事務所(栗生明)
住所:宇治市宇治蓮華116
竣工:2001年
平等院から程近い宇治川の風景は「のどか」という言葉がぴったりでした。

2010年10月14日
チリ救出
そこに人間が閉じ込められた。
少し時間があって生存が確認された。
周到にしかも迅速に準備をして、700mもの地中にいる人を救出した。
そのどれをとっても、理屈ではわかっても、私には全く想像できない。
2010年10月13日
経済成長?
上限っていうのはないのでしょうか?
ずっと疑問に思っています。
日本の経済の低迷が長引くことを考えると、子供から大人への成長から脱皮して、大人としての成長が必要な時期なのかもしれないな・・・と思っています。
でも、具体的にどういうことなのか、自分でも見当がつきませんが・・・。
2010年10月12日
堀部安嗣の建築

掲載されている作品のすべてに共通の素材感・色合い・考え方などに、どっしりとした安心感と説得力があります。
奇をてらわない落ち着きとか、空間の柔らかさが写真からも伝わってきます。
『ほしいものはかたちではない。
ほしいものは静かな光で満たされた、ゆったりとした時間。
ほしいものは自然と人の営みとの調和のとれた関係。
ほしいものは、「ここに居ることができる」と感じられる状態。
どれもかたちではない。
しかし私は、具体的な寸法、材質、構造、色をもった、
目に見えるかたちをつかって表現しなければ、建築をつくれない。
そんな宿命を背負っている。
では、どうすればよいのだろう。
人は今、過去にも未来にも行くことはできない。
しかし人は、イマジネーションという優れた力をもっている。
その力によって、大昔の人の気持ちや営み、大昔の自然環境や地形、
大昔の技術や研鑽を知ることができる。
その力によって、建築がどう年をとって、どう人に愛され、
どう環境と調和して風景に馴染んでいき、
そして人が病に伏したときや大雨、強風のときに、
どう人を守っていくのかも知ることができる。
時間のイマジネーションを広げながら、具体的に緻密に、
そして均衡と調和を真剣に追及して生まれた時間軸をもつかたちは、
「豊かな抽象」としてあらわれる。
豊かな抽象となったかたちとは、建築本来の姿にほかならない。
そして、さらなる新しいイマジネーションがひろがりはじめるのだ。』
作品の雰囲気が、上に引用した冒頭の文章によく言い表されています。