2012年04月18日

大阪産業創造館

大阪市東区役所跡に建つ「大阪産業創造館」。

しかし「東区」とは、古いなぁ。
大阪市中央区は1989年に東区と南区が統合されて出来ました。
同時に、北区と大淀区が統合され北区になりました。
若い人はもう知らないだろうけど…。

改めて考えると、1989年といえば平成元年。
合区は、昭和天皇が崩御し平成に変わった年だったようです。
そこは記憶がありませんが、
文部大臣だった小渕さんが「平成」という文字を掲げていたことと、
私が勤めていた会社の住所が、南区周防町から中央区東心斎橋に変わり、
住所が長くなったと感じたこと、
名刺や会社の封筒が一新されたことなどを思い出しました。
そんな古い話どうでもいいか…。


話を元に戻します。

大阪産業創造館のファサード。
壁面をボートが走り、その航跡が広がっていきます。

大阪産業創造館

調べると、
団塚栄喜氏(デザイナー)の「宝の艀(はしけ)」という作品らしいのですが、
インパクトがあります。斬新です。

近づいて見上げるとこんな感じ ↓ 。

大阪産業創造館

ちゃんと波形のように浮き上がってる。

石の目地部分に金属板(?)を挟み込んで、
それが壁面から浮き上がることで波が表現されています。
なかなか手の込んだ造りです。

なぜボートなのか?
なぜその航跡なのか?
ひょっとして、「船場」繋がり…?

見つけました。


「宝の艀」
かつてこの地は水運の便が良く、廻船、艀などの多くの船が行き交い、船場の発展に大きく貢献した歴史を持つことから、当時の光景を思い起こさせるような、水と艀をモチーフにしたアートワークである。
 外壁の石張りの横目地をステンレスとし、一部を変形させて壁面全体に水の造形をつくりだしている。波の先端の黄金の小舟は宝船であり、よく見ると七福神が、全員で力を合わせて櫓を漕いでいる。それは豊かな未来へ向けて漕ぎだす中小企業のあきんどの姿を象徴している。波の表情は、見る角度や時間によって様々に変化し、通りを行く人々の目をいつも楽しませてくれる。(団塚栄喜)

以上、㈱環境美術研究所のホームページ
http://www.e-art-studio.co.jp/company/c_index.html  から引用。



船場つながりと言うのもあながち間違いではなかったようですが、
ボートに乗ってるのが七福神とは…。
今度じっくり見てみよう…。

大阪産業創造館:大阪市中央区本町1丁目4−5




アーキスタジオ 哲 一級建築士事務所~ご相談から雑談までお気軽にどうぞ。大阪産業創造館




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Posted by アーキスタジオ 哲 at 05:53│Comments(0)大阪の建築と雑記帳
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