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2011年12月26日
金閣寺
何十年ぶりかで金閣寺へ。
前に行ったのは、確か大学の頃だと思うが、
そのときの記憶は、はっきり言ってお世辞にも「きれい」と呼べるものではなかった…と思う。
その後昭和の大修理。
きれいになったのは知っていたが、なかなか行く機会がなかった。
目に飛び込んできた金閣は、
ちょっと傾きかけた太陽の光を受けて光り輝いていた。



篠原一男氏の「住宅論」には、
「金閣はあの金箔の輝きの中に価値があるのだ。義満がつくろうと思ったのは、暗い木立や水に映える金色の光であったはずだ。時が経ち、金色の光りに影がさし、古ぼけ、黒く沈んだ金閣は、その燃え殻であって、将軍のつくろうとした金閣ではない。」とある。
そしてこの言葉を今日やっと理解した。
金色の美意識の是非は別として、この圧倒的な容姿は他ではなかなか体験することが出来る物ではないし、
確かにこの姿を見ると、
「義満がつくろうと思ったのは、暗い木立や水に映える金色の光であったはずだ。」
という言葉の説得力が増す。
池越しにみた姿では、1層素地の部分が上を引き立たせるためのいい働きをしている。
裏へ廻ると多少の違和感があることは否めないが、
金色の部分の浮揚感というか、軽快感をうまく演出している。
1層目の縁先のスパンが飛んでいるのは、それを意識してのものなのでしょうか?
いずれにしても、古い記憶では、1層目が違う色をしていたなんで記憶にない。
たぶん、いい加減に見てたんでしょうね。
いい加減に見ていたといえば、↓の茶室「夕佳亭」。
こんなの記憶のどこにも見当たらない。
でも、雰囲気があってとてもいい感じ。
この建物は、写真奥に向かって下がっている。
公開されてるのは、写真のところのみだが、
奥の方に下がったところには小さな門がありました。
いわば、2階建というのか、スキップフロアというべきか、になっている。
プランの想像がつかないので、なんか表示でもしてあると有難いな…と思った。

あと、↓。

これはおそらく近年の建物。
お守りなんかを売ってる売店(→こう書くと、有難味が感じないけど…)。
プロポーションがかわいらしく、愛嬌があった。
ちょっと、バリ風というか、エスニックな匂いもする。
充実感が漂う見学だった。
前に行ったのは、確か大学の頃だと思うが、
そのときの記憶は、はっきり言ってお世辞にも「きれい」と呼べるものではなかった…と思う。
その後昭和の大修理。
きれいになったのは知っていたが、なかなか行く機会がなかった。
目に飛び込んできた金閣は、
ちょっと傾きかけた太陽の光を受けて光り輝いていた。



篠原一男氏の「住宅論」には、
「金閣はあの金箔の輝きの中に価値があるのだ。義満がつくろうと思ったのは、暗い木立や水に映える金色の光であったはずだ。時が経ち、金色の光りに影がさし、古ぼけ、黒く沈んだ金閣は、その燃え殻であって、将軍のつくろうとした金閣ではない。」とある。
そしてこの言葉を今日やっと理解した。
金色の美意識の是非は別として、この圧倒的な容姿は他ではなかなか体験することが出来る物ではないし、
確かにこの姿を見ると、
「義満がつくろうと思ったのは、暗い木立や水に映える金色の光であったはずだ。」
という言葉の説得力が増す。
池越しにみた姿では、1層素地の部分が上を引き立たせるためのいい働きをしている。
裏へ廻ると多少の違和感があることは否めないが、
金色の部分の浮揚感というか、軽快感をうまく演出している。
1層目の縁先のスパンが飛んでいるのは、それを意識してのものなのでしょうか?
いずれにしても、古い記憶では、1層目が違う色をしていたなんで記憶にない。
たぶん、いい加減に見てたんでしょうね。
いい加減に見ていたといえば、↓の茶室「夕佳亭」。
こんなの記憶のどこにも見当たらない。
でも、雰囲気があってとてもいい感じ。
この建物は、写真奥に向かって下がっている。
公開されてるのは、写真のところのみだが、
奥の方に下がったところには小さな門がありました。
いわば、2階建というのか、スキップフロアというべきか、になっている。
プランの想像がつかないので、なんか表示でもしてあると有難いな…と思った。

あと、↓。

これはおそらく近年の建物。
お守りなんかを売ってる売店(→こう書くと、有難味が感じないけど…)。
プロポーションがかわいらしく、愛嬌があった。
ちょっと、バリ風というか、エスニックな匂いもする。
充実感が漂う見学だった。
Posted by アーキスタジオ 哲 at 13:39│Comments(0)
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