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2011年10月08日

新堕落論

アメリカという間接的な支配者の下に甘んじ培われてきた安易な他力本願が培養した平和の毒ともいえる、いたずらな繁栄に隠された日本民族の無気力化による衰退、価値観の堕落。

今日の日本を危ういものに仕立てたある種の観念とは、「平和愛仰」です。誰しも平和、安寧を臨まぬ者はいまいが、平和というものはただ願っただけで得られるものでは決してない。そのための代償が必ず要るのだ。

上記が文章が印象深かった。
すべてではないが、何気にうなづいてしまう。
1章の平和の毒は全編そんな印象。
氏の日本人として誇りや日本国に対する愛情が随所に感じられた。
氏のように持論を行動に変え、推し進めることが出来る実行力のある人が、今の政治には特に必要なんだと思う。
問題もあるでしょうが…。
2章の仮想虚妄は私には会わなかったので割愛。






新・堕落論―我欲と天罰 (新潮新書)




失言について、
先日、鉢呂経産相が失言で辞任した。
失言の機会を増やし、首相生命を短命にしてきた一因であるといわれるぶら下がり会見を野田総理は行わないようだ。
誰がこういったとか、こういう失言をしたなどという揚げ足取りのような報道なんかもう聞きたくない。
マスコミは、もっと建設的な意見や議論をきちんと記事にして欲しいと思う。

ひとつきほど前の朝日新聞の記事を思い出した。
藤原新也氏へのインタビュー記事。
その中の一文。
「<前略>
 しかし、今のマスコミはその矛先を本丸ではなく、あさっての方向に向いている。鉢呂吉雄前経済産業相の問題 がよい例だ。福島第一原発の周辺を「死のまちのようだった」と話したことの、どこがおかしいのか?ありのま まだ。死という言葉が福島県民の神経をさかなでする、という差別用語への過敏が、事実すら排除してしまう。 「放射能をつけちゃうぞ」という記者との瑣末なやり取りを、重箱の隅をつつくように記事にする神経も尋常で はない。まるで小学生の反省会の「言いつけ」のようなものだ。胆力の衰えた幼稚な報道で能力未知数の政治家 たちがたちどころに消えるのは、国民にとってただただくだらない損失だ。
 <後略>」

記事自体の主題は少し別なところにあったが、この文章に大いに共感した。  


Posted by アーキスタジオ 哲 at 10:04Comments(0)