2010年10月20日
村野藤吾 建築案内

村野藤吾建築案内
パラパラとページをめくると、矢継ぎ早に次から次へといろんな建物が出てきて、改めて氏の多彩さに感心させられます。
とても一人の建築家の建築案内本とは思えません。
なかには、あれも村野さんだったんだ・・・っていう身近な建築も載っていたりして、氏の簡易版の作品集が手頃な値段で手に入るといっても過言ではありません。
私は宝塚カトリック教会のすぐ近くの幼稚園に通っていました。
子供心に、あの教会には驚きと惹きつけられる何かを感じていたような気がします。
電車の窓から見えるあの特徴的な姿は、いまでも脳裏に焼きついています。
そんな、人を惹きつける何かを感じ取れる建築の多さにも改めてびっくりしてしまいます。
日本という土壌に建った建築の宿命と言ってしまえばそれまでですが、すでに取り壊されてしまった建築が少なくないのが残念です。
私が勤めていた心斎橋には、そごう、村野事務所、プランタン・・・と特徴的な村野作品が直近にありました。
しかし、そのどれもがすでに取り壊されてありません。
特に、村野事務所とプランタンは、小さいながらもなぜか気になる存在で、用もないのにわざわざ遠回りをして、前を通って眺めていました。
そんな20年以上前を思いだしました。
また、中学生の頃に移り住んだ千里ニュータウンにも南千里の地区センターや専門店街など、氏の作品が身近にありましたが、専門店街はすでに取り壊されてありませんし、地区センターも取り壊しが決まっています。
ちなみに、取り壊された専門店街のあとに建てられたのは、ALC張りぼてで雰囲気だけは明るく建てられた、今風の小ぶりのショッピングセンタービルです。
ほんとに残念です。
そういえば、千里中央にあった槙さんの千里センタービルもすっかり建て替わりました。
晩年は、打ち放しだった外装に塗装が施され、すっかり雰囲気を変えてしまっていましたが、その後解体され、50階建てのマンションに建て替わりました。
千里に50階建てのマンションなんて要らない・・・という声も根強いですが、もう出来上がっています。
まだ売れ残っているようで、時々分譲の広告が入ります。
話を戻します。
ページを捲りながら感じたこと。
村野作品が非常に身近にあったことを改めて感じました。
それと、
「心斎橋のプランタンでもう一度ゆっくりコーヒーが飲みたいなぁ・・・。」