2010年11月18日
2010年11月07日
ル・コルビュジエの勇気ある住宅

ル・コルビュジエの勇気ある住宅 (とんぼの本)
コルビュジエが大まかに復習できて、
安藤忠雄氏のコルビュジエへの憧れとか愛情とか尊敬の気持ちがあふれていて、
安藤作品への具体的な事例での影響が紹介されている。
そんな盛りだくさんな内容が簡潔に、わかりやすくまとめられている。
2010年11月06日
健康な建築
背表紙を見て、久しぶりに読み返してみたくなった。
この本、おそらく私が建築学科に入って最初に買って読んだ本。
冒頭の
「健康とは〈生きているもの〉の価値基準である。人は病んだとき初めて健康の喜びや健康の価値を知るのであるが、このごろの建築をみていると、つくづく健康な建築の必要性を感じる。最近の建築はどこか病んでいるようだ。人間と建築とを同一に考えることはできないが、健康という価値基準を建築にあてはめることはできる と思う」という文章に必要以上に身構えた覚えがある。
これから勉強を始めようとしている、建築が病んでいる。
病んでいるとはどういうことか?
健康な建築ってどういうものなのか?
身構えた割りにはわかりやすい内容でなんとなく納得させられた。
ない頭と乏しい知識を使って、いろいろ考えさせられた一冊。
2010年11月02日
大阪維新
政治に関心があるとはいえない自分がそう思っていたのだから、仕事で役所を行き来する中で原因となる何かがあったことを忘れてしまっているだけかもしれない。
そんな下地があってこの本を読んだのだが、やはり概ね賛成である。
文面がやさしく、橋本知事のやってきたこと、その前後関係、それを取り巻く諸々の事象、そしてこれからやろうとしていること、の道筋が見えてきた。ついでに言うと、ずっと疑問だった「経済成長」の可能性の一端までもが良くわかった。
他の人に比べての彼の優位性はメディアの使い方に長けていると言うこと。
注目度や見てる側の聞く耳も違うのだから、最大の武器になる。
その分反発も大きいのだろうが、なかなか一般人から知事になった人ではこうは行かず、賛成意見も反対意見も届かないのではないだろうか。
特に議会に対する効果は抜群で、議会が反対しても世論が後押ししてくれる場合もあるだろう。
だからこそ、100%賛成と言う訳ではないけれど、やり始めたからにはやり通して欲しい。
お願いだから、やり遂げるまでは、次の選挙には出ません・・・なんていうことにはならないようにお願いしたい。
思いはひとつ、元気な大阪の復活なのだから。

大阪維新 角川SSC新書 橋下改革が日本を変える (角川SSC新書)
2010年10月31日
手塚貴晴+手塚由比 建築カタログ

ずっと気になっていましたが、なかなか機会に恵まれず今に至りました。
機会に恵まれない・・・というのは、
本って、本屋で見て、もしくは他のメディアを通じて「この本欲しいな・・・」と思っても、
私の場合すぐに買わない場合も多い。
だから、本屋で見て欲しいけど買ってない本が、本屋にたくさん並んでいる。
最近は建築関係が全般的に少し値段が下がったような気がしないでもないが、
昔からのトラウマで、「高い!」と言う感覚があって、避けてるのかもしれない。
そのときは、他の本を買う予定があったので次回に廻そう・・・というときもある。
ぶらりと本屋に立ち寄って、なにも欲しい本がなかったときでもその本がある・・・という安心感を求めているのかもしれない。
とにかく、本屋に行って手にとって見て、欲しかったけど買わなかった本がたくさんある。
そんな中の一冊です。
今回なぜ買う気持ちになったのかわかりませんが、とにかく購読しました。
とにかく大胆な発想(とっくに構造的な・・・)と、
それとは真逆の位置にあるような、なんとなく暖かみのあるデザインに惹かれるものがあります。
写真が多いから読むと言うよりは「見る!」本です。
楽しかった。
これ、2巻目も出てます。
購入はいつになるやら・・・
2010年10月20日
村野藤吾 建築案内

村野藤吾建築案内
パラパラとページをめくると、矢継ぎ早に次から次へといろんな建物が出てきて、改めて氏の多彩さに感心させられます。
とても一人の建築家の建築案内本とは思えません。
なかには、あれも村野さんだったんだ・・・っていう身近な建築も載っていたりして、氏の簡易版の作品集が手頃な値段で手に入るといっても過言ではありません。
私は宝塚カトリック教会のすぐ近くの幼稚園に通っていました。
子供心に、あの教会には驚きと惹きつけられる何かを感じていたような気がします。
電車の窓から見えるあの特徴的な姿は、いまでも脳裏に焼きついています。
そんな、人を惹きつける何かを感じ取れる建築の多さにも改めてびっくりしてしまいます。
日本という土壌に建った建築の宿命と言ってしまえばそれまでですが、すでに取り壊されてしまった建築が少なくないのが残念です。
私が勤めていた心斎橋には、そごう、村野事務所、プランタン・・・と特徴的な村野作品が直近にありました。
しかし、そのどれもがすでに取り壊されてありません。
特に、村野事務所とプランタンは、小さいながらもなぜか気になる存在で、用もないのにわざわざ遠回りをして、前を通って眺めていました。
そんな20年以上前を思いだしました。
また、中学生の頃に移り住んだ千里ニュータウンにも南千里の地区センターや専門店街など、氏の作品が身近にありましたが、専門店街はすでに取り壊されてありませんし、地区センターも取り壊しが決まっています。
ちなみに、取り壊された専門店街のあとに建てられたのは、ALC張りぼてで雰囲気だけは明るく建てられた、今風の小ぶりのショッピングセンタービルです。
ほんとに残念です。
そういえば、千里中央にあった槙さんの千里センタービルもすっかり建て替わりました。
晩年は、打ち放しだった外装に塗装が施され、すっかり雰囲気を変えてしまっていましたが、その後解体され、50階建てのマンションに建て替わりました。
千里に50階建てのマンションなんて要らない・・・という声も根強いですが、もう出来上がっています。
まだ売れ残っているようで、時々分譲の広告が入ります。
話を戻します。
ページを捲りながら感じたこと。
村野作品が非常に身近にあったことを改めて感じました。
それと、
「心斎橋のプランタンでもう一度ゆっくりコーヒーが飲みたいなぁ・・・。」
2010年10月12日
堀部安嗣の建築

掲載されている作品のすべてに共通の素材感・色合い・考え方などに、どっしりとした安心感と説得力があります。
奇をてらわない落ち着きとか、空間の柔らかさが写真からも伝わってきます。
『ほしいものはかたちではない。
ほしいものは静かな光で満たされた、ゆったりとした時間。
ほしいものは自然と人の営みとの調和のとれた関係。
ほしいものは、「ここに居ることができる」と感じられる状態。
どれもかたちではない。
しかし私は、具体的な寸法、材質、構造、色をもった、
目に見えるかたちをつかって表現しなければ、建築をつくれない。
そんな宿命を背負っている。
では、どうすればよいのだろう。
人は今、過去にも未来にも行くことはできない。
しかし人は、イマジネーションという優れた力をもっている。
その力によって、大昔の人の気持ちや営み、大昔の自然環境や地形、
大昔の技術や研鑽を知ることができる。
その力によって、建築がどう年をとって、どう人に愛され、
どう環境と調和して風景に馴染んでいき、
そして人が病に伏したときや大雨、強風のときに、
どう人を守っていくのかも知ることができる。
時間のイマジネーションを広げながら、具体的に緻密に、
そして均衡と調和を真剣に追及して生まれた時間軸をもつかたちは、
「豊かな抽象」としてあらわれる。
豊かな抽象となったかたちとは、建築本来の姿にほかならない。
そして、さらなる新しいイマジネーションがひろがりはじめるのだ。』
作品の雰囲気が、上に引用した冒頭の文章によく言い表されています。
2010年10月10日
2010年09月23日
伊礼智の住宅設計作法
今の私にとっては、肩肘を張らずに気軽に、そして楽しく読めるにもかかわらず、いろんなことを再認識させてくれる好著でした。
当分はすぐ手の届くところに置いて、時々パラパラとめくっては、ちょこちょこと ‘読み増し’ することになるだろうと思います。

伊礼智の住宅設計作法―小さな家で豊かに暮らす
内容とは関係がないのですが、「はじめに」 に書かれていた
「建築家にありがちな自分をベールに包んだスタンス、考えすぎるあまり難解な表現にいたることは僕には馴染みませんし(むしろ社会性のない悪文だと思っています)、・・・云々」
という言葉を読んで、まったくの同感で、心を捕まれたような思いでした。そう思っていてもこれだけはっきりと書いてくれる方は、なかなかいないと思います。
2010年09月07日
スピリチュアルな話
ずっと前に読んだ「聖なる予言」。
続けて読んだ「第十の予言」。
タイトルがグロテスクだけど「超巨大『宇宙文明の真相』」。
・
・
・
etc.
「聖なる予言」を読んで、なんとなくはまって、その時期に何十冊かこの手の本を読んだ。
何十冊か読んだけど、インパクトは最初に読んだ ↑ の3冊が非常に強くて、他の本は敵わない。
書棚から引っ張り出してみたけど、3冊以外は正直あまり内容さえ覚えていなかった。
この手の本、信じるか信じないかは別として、要は大宇宙の真理とかそういった類の話です。
私自身は信用していて、高次元な自分を常に探し求めてはいるのですが、
日常のバタバタに加えて、欲と煩悩に支配される毎日に、
一切の進歩を感じとることが出来ないままに過ごしています。
この手の話を、家内に話したら、
「あんまり人に話さない方がいいよ。変に勘ぐる人もいるから・・・」と、
たしなめられました。
それ以来家内をはじめ誰にも話してません。
頑なに口を噤んでる、とかじゃなくて、特に話す機会もないから話さないだけですが・・・。
これを書いて思い出したので、久しぶりにを読み返そうと書棚に行きましたが、
「聖なる予言」だけ見つかりませんでした。
もう少し探してみて見つからなかったら、もう一冊買おうかな?
まだ売ってるのかな?