2013年11月03日

楽しかった昔の記憶~高津宮

空堀界隈から少し南に下ったところにある高津宮です。
昨日までの続きで書いてしまってもいいお宮さんなんですが、昨日で「空堀界隈は終わり」と書いちゃったんで分けることになりました。(‥;)

さて、その高津宮。浪速の地を皇都(高津宮)と定め、大阪隆昌の基を築いた仁徳天皇を主神とする神社です。

楽しかった昔の記憶~高津宮
楽しかった昔の記憶~高津宮

高津宮のホームページによると、
仁徳天皇が高殿に昇られて人家の炊煙の乏しいのを見られて人民の窮乏を察し直ちに諸税を止めて庶民を救済されました御仁政はあまねく国民の敬慕する処であります。
 その御仁政を慕い平安期の初期清和天皇の貞観八年(866年)勅命(天皇の命令)によって旧都の遺跡を探索して社地を定め社殿を築いてお祭りしたのを創始といたします。以後世々皇室を始め時の幕府等の度々の御造営寄進を重ねて浪速津の守護神と仰がれ御神威輝き渡ったのでありますが、その後700年を経た正親町天皇の天正十一年(1583年)豊臣秀吉が大阪城の築城に際し比売古曽社の現在地に御遷座(神社の御神体が移ること)になって今日に及んでおります。
 仁徳天皇の徳政を敬い大正十年に制定された大阪市歌にも「高津宮の昔より代々栄えをかさねきて民のかまどに立つけむりのにぎわいにまさる大阪市・・・」と歌われています。

 昭和二十年三月の第二次大戦の戦火を浴び神輿庫を一つ残して社殿ことごとく焼失しました。しかし戦後氏子を始め崇敬の厚い奉賛により昭和三十六年十月社殿以下ことごとく復興完成を見ました。
とあります。
また、古典落語「高津の富」の舞台にもなっいるそうで、落語会など、浪速の伝統文化にちなんだイベントがたくさん行われているそうです。落語には詳しくないので、知りませんでした。

 ↓ が焼け残った神輿庫。

楽しかった昔の記憶~高津宮

この神輿庫の前に、

楽しかった昔の記憶~高津宮

 ↑ の立て札がありました。

歴史や由来、謂れは重々しく、わかっていないこともあるお宮さんですが、そんなことよりも、私にとっては夏祭りの夜店の楽しかった記憶しか残ってないお宮さんなんです。

そういえば、数年前に子供を連れて久しぶりに高津さんの夏祭りに行って的屋のお兄ちゃんと話したら、自宅(豊中)の近所の夏祭りで話をしたお兄ちゃんだった…っていうことがあったな。的屋のお兄ちゃんもあちこち大変なんですね。


ところで、高津宮には ↓ こんな坂があります。

楽しかった昔の記憶~高津宮

 ↑ 縁切り坂と、

楽しかった昔の記憶~高津宮

 ↑ 縁結びの坂。

 ↓ が縁切り坂で、

楽しかった昔の記憶~高津宮

 ↓ が相合坂の片側。

楽しかった昔の記憶~高津宮

ご利益の程はわかりませんが、そんな必要のある方は一度訪れてみてはいかがでしょうか。

大きなお世話でした。




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Posted by アーキスタジオ 哲 at 06:44│Comments(0)大阪の建築と雑記帳
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