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2012年08月13日

西宮といえば・・・のマンホール

西宮市で一番有名なものといえば・・・そう、甲子園球場。

また、この西宮市から神戸市にまたがる灘五郷は「灘の生一本」と呼ばれる造り酒屋の多い地域なので、酒蔵。

あとは、定番の市の花「さくら」。

そんな図柄がデザインされたマンホールです。



図柄を見ると、阪急ブレーブスファンで阪急ブレーブスこども会に入会していた私としては、西宮球場が解体される前でもやっぱり甲子園だったのかな・・・?
と、他愛のない疑問は沸きますが、

どうみても、やっぱり甲子園なんでしょうね。
そして、阪神タイガースなんでしょうね。

いや、今の時期は高校野球か・・・。

流れを無視して、無理やり話を西宮球場に振り戻します。
西宮球場?なにそれ?って言う声も聞こえて来そうですが、
西宮球場が解体されて10年近くなるんですかね?今や西宮ガーデンズ。
でも、甲子園球場に対抗して造られた西宮球場は、当時としては最新尽くしの球場だったと聞きます。

子供の頃の私にとって、阪急ブレーブスこども会に入っていれば内野席は無料でしたから、野球観戦=西宮球場でした。当時は阪急沿線に住んでる子供は、阪急ファンか否かに関わらず、入会していた子が多かったように思います。

阪急ブレーブスの身売りは1988年(昭和63年)。仕事帰りの電車で向かい側に座る人のスポーツ新聞の「阪急身売り」の文字に釘付けになったのを思い出します。
この年を最後に山田投手と福本選手が引退し、その翌年のオープン戦で引退試合が行われましたが、私が西宮球場に行ったのもこの試合が最後です。オリックスのユニフォームを着た選手に混じった阪急のユニフォーム姿の山田・福本両選手が印象的でした。

この1988年度(昭和63年度)というのはいろんな出来事があった年で、
一番大きいのが、昭和天皇のご病気による自粛ムード。そして、翌年早々(昭和64年1月7日)に昭和天皇が崩御されました。まさしく「昭和」の終焉で、新しい元号「平成」を発表する当時文部大臣だった小渕さんの姿が記憶に焼きついていますよね。

南海ホークスの身売りの発表は阪急身売りの約1ヶ月前。
プロ野球好きなら知っている近鉄バファローズの「10.19の悲劇」もこの年で、ちなみに、この10.19の日に阪急の身売りが発表されたはずです。

たしか、ソウルオリンピックもこの年、あと、3億円事件の時効も・・・。

個人的には、大学を卒業して社会に出た年。だからよく覚えてる…はずですが間違ってたらごめんなさい。

ここまで書いて今更ですが、なんか全く話が逸れてるし・・・。

今日は、西宮のマンホールの話でした。




アーキスタジオ 哲 一級建築士事務所
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Posted by アーキスタジオ 哲 at 06:15Comments(2)マンホール