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2012年05月30日

そして『待庵』

「国宝待庵」。
いうまでもないですが、利休の作として伝えられる茶室。



昨日の書院から庭に降り、延段を歩いて左の土間庇の下に進むとにじり口があります。
土間庇の下は利休のいう「渡りを六分に、景気を四分」の飛び石のはずです…が、今はスノコが敷いてあってその飛び石を見ることが出来ません。見学者が多いときには石の上を歩いてくれないからスノコ敷にしたんでしょうね。



にじり口は開いていましたが、竹の格子が掛けられていて、覗き込むことさえ出来ないようにしてありました。眼が行き届かないところですし、もしも、心ない見学者がたくさんいたことを物語っているのであれば、ちょっと残念に思います。

撮影禁止なので中の写真はありませんが、格子の間から中を覗き込むとそこは、

表現する言葉がみつからない程、静寂が感じられる空間でした。

鈍感な私は、その場では心地いい抱擁感に包まれているような感覚だけを味わっていたのですが、時間が経って思い返してみると、その凄さが湧き上がって来るような感覚を覚えました。
どういえば適切に伝わるのかがわかりませんが、
藁すさの壁の存在感も、2畳の"広さ” も、室床の不思議感も全部まとめて、内に向かって収束していくような感覚。
外向きには主張することなくひっそりと建ち、内に凝縮していくような力。
圧倒されているんだけど、包まれていたいと思える心地よさ…そんな感じでしょうか。(わかりにくいな…)

人間の感覚って、例えば、おもちゃの小さなお家に入る自分を想像すると、自分を縮小しないと入れなので、壁や天井などの空間を形成する要素と自分との関係性が研ぎ澄まされて鋭敏になります。一方で、ものすごく大きな空間にいる自分を想像すると、空間を構成する要素との関係性を鋭敏にする必要がなくなり、結果的に空間を認識する感覚も散漫になっていきます。この論法でいくと草庵茶室は小さいので、人間の感覚を研ぎ澄まして感じる空間ということになります。
また、茶室は露地の自然の中にありながら、茶室内の空間はその自然と隔絶することで成立させた、お茶をおいしく戴くことに集中するための閉鎖的な演出空間です。だから元々、非常に求心性の強い空間なんですが、この「待庵」はその求心力が尋常ではないと感じました。
あの抱擁感は、この求心力から来るものなのかもしれません。





学生時代に、この2畳の茶室が広く見えるのは、室床やその他の入り隅を塗り廻して角が見えないようにし、距離感を曖昧にしてるからだ…と習いました。でも、実物はそんな単純なものじゃなくて、もちろん塗りまわしも重要な要素のひとつですが、それに加えて、この茶室を構成するすべての要素がバランスされているからこそ、そう見えているだと思います。
おそらく、徹底した細部までのこだわりとバランス感覚がなせる技なんです。

土間庇下の足元だけ下を透かしてあること、下地窓にところどころ割り竹が入っていること、にじり口が大きいこと、炉が小さいこと、次の間までを一室と考えて一畳増やすと不審菴にそっくりなこと…等々、もっと細かいことも書こうと思っていましたが、なんか変に高揚し力が入って、細部のことに到達する前に疲れちゃたので、今回はこの辺で終わりにします。

私という人間がもっと出来上がったら、ちゃんとお伝え出来るようになるのかもしれませんが、今の私にはこの辺が限界です。


追伸、この待庵について書かれた本は沢山ありますが、異色のものとして ↓ の本では韓国の民家との関連性について書かれています。内容的にちょっといやな部分もある本なのですが、こういう違った観点からの模索も非常に面白いと思ったので紹介しておきます。


利休 茶室の謎

ずっと前に読んだ本ですが、ついつい読み返してしまいました。


妙喜庵
所在地:京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字竜光56


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大阪・吹田・千里ニュータウン/アーキスタジオ 哲 一級建築士事務所
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Posted by アーキスタジオ 哲 at 06:38Comments(0)京都の建築と雑記帳