枝葉末節~アーキスタジオ哲 一級建築士事務所のブログ~ › 2011年10月12日
2011年10月12日
CT&胃カメラ
先週、あご下にリンパの腫れ?みたいなしこりが出来て病院へ。
診断は、軽ければリンパの腫れ、重ければどこかの腫瘍の転移。
もしものこともあるのでちゃんと調べておきましょう、
健康診断も間が空いているのでそれを兼ねて…と、
CTを撮り、胃カメラを飲むことになった。
だって、こんな言い方されたら調べといた方がいい、と思ってしまう。
了承して、看護婦さんから検査の説明を受けている時に先生が来て、
しこりは、薬出しとくね。たぶんそれで引いてくると思うから…って。
それを先に言って欲しかった。
健康診断の間が空いてるのは確かだから、まあいいけど…。
そして今日がそのCT&胃カメラの日。
CTはあっという間に終了。
しかし胃カメラは…。
楽な方がいいか、多少苦しいけどすぐに出来るのがいいか?と問われ、
迷わず、楽な方…と答え、麻酔をかけてやってもらった。
いや、麻酔じゃないのかな?
たしか、看護婦さんは「ちょっと眠くなる薬」言ってた。
検査自体はすっかり寝ていて覚えていないが、
検査が終わっても体がだるいし、眠い。
帰宅後も体のだるさと眠気がとれず、今日は一日休養日に変更。
苦しい方が良かったのかな?
10年程前にやったときはそんなことすら聞かれなかった。
だから、苦しかった。
「少し眠くなる薬」は使ってないから、
検査後はまったく問題なく仕事に出かけた。
でも、やっぱりあの苦しさはいやだ。
そして、やっぱり胃カメラは好きじゃない。
検査結果は、大きな問題はなし。
ほっとしたが、今のところさほど問題にはならないが要注意、という事柄がちょこちょこ。
これは年齢的なこともあるし、日頃の食生活にも原因が…と。
心当たりがないことはない。
帰りがけに「暴飲暴食はあかんよ!」
ばれてる。
暴食はないけど、暴飲は…。
つぎは2週間後に大腸の内視鏡。
またあの2リットルの薬の服用と便所の往復が待っている。
また、気の重い日が近づいてくる。
診断は、軽ければリンパの腫れ、重ければどこかの腫瘍の転移。
もしものこともあるのでちゃんと調べておきましょう、
健康診断も間が空いているのでそれを兼ねて…と、
CTを撮り、胃カメラを飲むことになった。
だって、こんな言い方されたら調べといた方がいい、と思ってしまう。
了承して、看護婦さんから検査の説明を受けている時に先生が来て、
しこりは、薬出しとくね。たぶんそれで引いてくると思うから…って。
それを先に言って欲しかった。
健康診断の間が空いてるのは確かだから、まあいいけど…。
そして今日がそのCT&胃カメラの日。
CTはあっという間に終了。
しかし胃カメラは…。
楽な方がいいか、多少苦しいけどすぐに出来るのがいいか?と問われ、
迷わず、楽な方…と答え、麻酔をかけてやってもらった。
いや、麻酔じゃないのかな?
たしか、看護婦さんは「ちょっと眠くなる薬」言ってた。
検査自体はすっかり寝ていて覚えていないが、
検査が終わっても体がだるいし、眠い。
帰宅後も体のだるさと眠気がとれず、今日は一日休養日に変更。
苦しい方が良かったのかな?
10年程前にやったときはそんなことすら聞かれなかった。
だから、苦しかった。
「少し眠くなる薬」は使ってないから、
検査後はまったく問題なく仕事に出かけた。
でも、やっぱりあの苦しさはいやだ。
そして、やっぱり胃カメラは好きじゃない。
検査結果は、大きな問題はなし。
ほっとしたが、今のところさほど問題にはならないが要注意、という事柄がちょこちょこ。
これは年齢的なこともあるし、日頃の食生活にも原因が…と。
心当たりがないことはない。
帰りがけに「暴飲暴食はあかんよ!」
ばれてる。
暴食はないけど、暴飲は…。
つぎは2週間後に大腸の内視鏡。
またあの2リットルの薬の服用と便所の往復が待っている。
また、気の重い日が近づいてくる。
2011年10月12日
やっと。
以前から自分の中で「やらなきゃ!」と思っていたことの入り口にようやく到達した。
といっても、自分が逃げていただけなので、
「ようやく到達した」という表現が正しいのかどうか?
「ようやく自分の殻から一歩踏み出せた」といった方が正しいようだ。
一歩踏み出してみてわかったこと。
そこにビンビンに張り詰めた空気がある訳ではない。
でも、たしかに「凛」とした空気感がある。
冬の朝の澄み切った空気のような、
心まで引き締まるような空気感。
そんな空気の中での適度な緊張感を、時折解してくれるやわらかい言葉。
それがまた心地いい。
今の世の中、なかなかこんな空気を味わうことは出来ない。
未知の世界というのは、
チャレンジして肌で感じてみないとわからないことがたくさんある。
といっても、自分が逃げていただけなので、
「ようやく到達した」という表現が正しいのかどうか?
「ようやく自分の殻から一歩踏み出せた」といった方が正しいようだ。
一歩踏み出してみてわかったこと。
そこにビンビンに張り詰めた空気がある訳ではない。
でも、たしかに「凛」とした空気感がある。
冬の朝の澄み切った空気のような、
心まで引き締まるような空気感。
そんな空気の中での適度な緊張感を、時折解してくれるやわらかい言葉。
それがまた心地いい。
今の世の中、なかなかこんな空気を味わうことは出来ない。
未知の世界というのは、
チャレンジして肌で感じてみないとわからないことがたくさんある。
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